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へぇ~家物語
良く晴れ渡った日曜日。暑さが心地よく、風はヒンヤリとしていて、外で活動するには最適な季節だと思います。ほんの一時かもしれませんが梅雨が始まるまでの期間は、静かな場所で草花を眺めながら、ぼんやりと過ごすのが最高かもしれません。何も考えない時間というのは至福でもあります。煩悩から解放された気分になると、「諸行無常の響きあり」などと呟いてしまいそうです。平家物語でしたっけ。鐘の音を諸行無常と聞き、沙羅双樹の花を盛者必衰の理と観て、繁栄を春の夜の夢と言い、猛き者は風に舞う塵と同じだ、と詠んだそのセンスに脱帽です。どうしたら、それだけのアイデンティティが産みだせるのか、作者に尋ねてみたいものです。一つだけ判る事は、作者が世を憂いていたことでしょうか。一見、ネガティブな字面に受け取れますが、内容としては感情的ではなく、冷静に綴られています。その部分を「儚い」と捉えるのか、「鋭い」と捉えるのか、人それぞれでしょうけれど、僕はこの平家物語冒頭部分は音の響きが好きですね(内容そっちのけ)。それって結構重要だと思うのです。例えば言葉の意味が分からない、または聞き取れない音楽(主に海外の曲)を聞いていても、何となく良いな、と感じる時があります。その「何となく」の部分が、素敵エッセンス凝縮タイプと言われています。誰に言われているのか、と言う疑問は持ってはいけません。僕以外にいませんから(調子に乗りました)。フィーリングという言葉は便利ですが、それをついつい「具体的」に求めてしまう傾向が、人間にはあるのではないかと思います。言葉に還元したり、モノに例えたり、絵で表現したり。それは自由ですから良い事ですが、無理に具現化する必要もないのではないか、というのが僕の主張でして、それを心の中に留めておくことで、素敵エッセンス凝縮タイプを何時でも楽しむ事ができるのです。そんな事を主張しているくせに、ここで必死に言葉を綴っていたりしますが、それは一つの表現ですから、気になさらずに(自分本位で恐縮です)。さて、中学生の頃、母に祖先について尋ねたところ、平家に属していたと聞きました。「へぇ~」と返事したのは言うまでもありませんが、ボタンは連打していません(判らない人は気になさらずに)。個人的には源義経と弁慶の話が面白かったので、源派だったら嬉しいな、と淡い期待を抱いていた記憶はあります。それが、祖先は平清盛公に仕えていたと知ると、何故かお坊さんをイメージしてしまったことも良い思い出。何れにしても感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。令和元年。与党と野党の源平合戦は、どうなる事やら。その前に、どちらが源氏でどちらが平家?