• スポーツ

    審判はストライキするのか

    今日は療養も兼ねて、銭湯に行きました。源泉かけ流しを謳っているのですが、それに該当する風呂は、露天にある5種類の浴槽のうち、一つだけです。それでも、嘘はついていない事になるので、文句は言えませんが、全ての風呂が源泉かけ流しと勘違いするお客さんがいるのではないかと予想します。利用者の年齢層は、日本の人口分布に従って高齢者が多いのですが、脱衣所などに掲げてある温泉の効用を見て、それを信じて全く関係の無いジェットバスでくつろいでいらっしゃるのです。それはそれで良いのかもしれませんが、誤解を招くような表示は控えていただきたいものです。僕は何時も源泉かけ流しの風呂に入ります。空いていない時は、他の風呂にも入りますが、隙を見てはそちらに移動し、10分ほど楽しんでから上がります。それ以上はのぼせてしまいます。こんな片田舎で「おのぼりさん」ならぬ、「おのぼせさん」になってしまいます。風呂から出たら、休憩所に行き、女性陣を待つことになります。そこにはテレビがあって、プロ野球が放映されていました。普段は全く観ないのですが、久しぶりに(短時間ですが)観戦しました。そこで幾つか気になった事があります。一つは、ネックレス。かなり太めのチェーンがユニフォームの外側に出されていて、なんだかスポーツ選手らしからぬ姿だと感じます。まあ、子供たちがそれに憧れて野球選手になりたい、というのであればそれで良いのかもしれませんが、そうなると商用目的と感じる部分が強く、純粋な野球のプロ、という見方ができなくなるのですが、あくまで個人的な意見です。もう一つは、審判。いつまで人間がストライクゾーンを見定めるのでしょう?いい加減、機械判定にしたらどうなのか、と思います。技術的には可能なはずです。今日の試合でも、ピッチャが投げて、キャッチャが捕球した後に、間が空いて「ボール」の判定が下される場面があり、バッテリは首を傾げていました。そういう状況は恐らく、バッテリの感覚が正しいのではないか、と感じます。つまり「ストライク」だったのではないか、という事です。試合の明暗を分けるのは、実力だけではなく、そういったジャッジも大きく影響します。精神的な部分での戦いも当然あるわけですから、ストライクをボールと言われたら、精神的にも、スコア的にも大きな「誤差」が生れます。それは正常な判定であれば生れない「誤差」です。その「誤差」が結果に影響してくることは、過去を振り返ればいくらでもあったことでしょう。それでも、試合中に何回かはジャッジに対してビデオ判定を申し入れる事ができるみたいですから、少しは前向きに捉えることができました。勝手な推測ですが、審判団の利権があるため、なかなか簡単に判定用の機械導入ができないのでしょう。会社を見ても同じ状況があります。あるシステムを導入すれば、明らかに人手を削減できるのですが、その仕事をしている人たちにとっては死活問題となるので、なかなか前向きに話がすすまない、という状況です。共通しているのは、利権に絡む人たちが、それなりの「力」を持っていることです。沖縄の基地問題を見ても、利権がらみの反対運動が起きているようですし、他の場所でも幾らでも起きていることだと言えます。皆が合理的な社会を夢見て、それを実現しようと行動に移すのですが、その行く手を阻むのが利権という現実なのですね。非常に難しい問題だとは思います。それは主張する側も身を護るための行動を起こしている、と解釈ができるからです。その狭間は簡単に埋める事はできないでしょう。けれど、譲歩して進んでいかなければならない問題も存在するので、そこでは壮絶な舌戦が繰り広げられているようです。さて、昔から野球に対する疑問として、打者と監督のサインがあります。あれは、監督の指示に従って打者が行動をするのでしょうか?であるならば、なんて監督想いの選手たちなのでしょう。選手の献身によって、名監督が生れるということですね。選手の意思だけで打撃をしたら、どうなるのでしょう?監督は裸の王様?よく判りません。野球を好きになれない理由は、そういう部分もありますね。あ、でも野球のゲームは楽しく遊んでいました。

    天然かけ流し(冷たいけれど)