• 哲学?

    世間とのIsolation

    孤独を好むようになると、不思議と、周りの人の行動を冷静に見れるようになってきたように感じます。少し(といっても10年くらい)前までは、友人、知人との付き合いにおいて、自分の立場を気にしていました。他人の行動が、自分の存在を肯定してくれている、そんな気がしていました。言い換えれば、依存していた、ということです。自分でもよく分かりませんが、いわゆる「自分探し」をしていたのかもしれません。それまで、何年生きてきたんだ、というのはごもっともで、深く考えずに生きてきた結果、そうなっていました。それでも、特に問題はなかったと思いますが、常に「虚」が心の中に渦巻いていたように思います。何かが足りない。何かが欠けている。その何かが、判らなかった。それと向き合おうとしなかったのですね。そんな中で、今の奥様と出会って、ある作家の本を貸してくれました。ミステリー小説の文庫本で、500ページくらいの、なかなか読み応えのあるストーリィでした。それから、ずっとその作家の本を読むようになりました。しばらくは、小説、しかもシリーズものを読んでいたのですが、エッセイも出版されていることを知り、そちらをメインに読むようになりました。恐らく、ここ5年くらいで、その作家のエッセイを20冊以上は読みました。とういか、それだけのアウトプットが、ごく短期間で行われていることに、驚きました。新刊を見つけ、購入し、少し(2,3か月)経つと、また新刊が出ているのです。「えっ、もう出たの?」と、店頭でのオーバーリアクションを忘れないように、心がけました。誰も見ていないから、問題ありません。すがるような思いがあったのかもしれません。その作家のエッセイを何冊も読むにつれて、自分に足りない何かが、少しづつ、見えてきたような、そんな錯覚を覚えました。そう、錯覚だったのです。それまでの自分は、何かと理由をつけて、行動を起こさなかった。ただそれだけだったと感じます。例えば、ギターを上手に弾けるようになりたい、と思っても、それに向けて具体的な行動をとらず、気が向いたときに、少し弾いて、指が痛くなるのですぐに止めて、またしばらくの期間はお預け、というか、お蔵入りとなるのです。そういうパターンが多くて、結局、長続きしないので、段々と、新しく始めることが、億劫になります。そんな僕に、エッセイの中で、響いた内容がありました。「毎日少しづつでいい。5分でもいいから、手をつけること。そして、決して頑張らないこと。」というニュアンスの文です。それを読んだ時に、「ああ、そうか、頑張らなくていいんだ。」と、何か、肩の荷が下りたような気がしました。それからでしょうか、少しずつですが、毎日、やりたいことに手をつけるようになりました。もちろん、途中で止めたこともあります。しかし、それは、「もう終わり」ではなく、「ちょっと休憩」という具合に考えておき、また手をつける準備をしておきます。多分、他の人は、当たり前のようにやっている事だと思われますが、僕には、なかなかできませんでした。しかし、今では、こうしてやりたい事を見つけ、それに充てる時間が少しでも欲しい、と考え、その時間を作る努力をするようになりました。これは、自分の中で、凄い変化だと感じています。そのきっかけを与えてくれた、作家の方、そしてその本を紹介してくれた奥様には、感謝の言葉しかありません。やりたい事があると、どうしても孤独な時間が必要になり、結果、他人とのコミュニケーションは減少しましたし、テレビも観なくなりましたし、ニュースもあまり見なくなり、生活が随分と、シンプルになりました。これが、自分が求めていた状態なのかな、と思います。心の渦巻きは、今のところ、鳴りを潜めています。

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