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    哀愁ドンドコドン

    梅雨だというのに、雨がなかなか降りません。お天道様が微笑んでくれることは非常にありがたい事ですが、農家の皆さんはとても困って入らっしゃることでしょう。雨が降らなければ、自前で水を撒く必要があるのではないでしょうか。そうなると、大量の水を消費することになりますから、経営に支障が出そうです。農業用水とか使えば問題ないのでしょうか?全くその辺りを知りません。しかし、先日のように降ったかと思えば、豪雨になってしまうと、余計に困ることでしょう。時間当たりの降雨量が多すぎると、田んぼはまだしも、畑には悪影響を及ぼすのは、素人でも予想がつきます(違っていたりして)。夏がいよいよ近づいてきたのかな、という雰囲気ですが、夕暮れ時に川向こうから、お祭りのような騒ぎが聞こえてきました。どちらかというと、「フェス」といったほうが合っているのかもしれません。若者向けのMCと、音楽が午後10時過ぎまで鳴り響いていました。お祭りの形もこれから変わっていくのだろうな、というぼんやりとした感想です。変化は何時の時代だって起きてきた事。何時までも変わらずに続けることは、その意義がある間です。意義を失えば、新たな意義を見出すか、辞めるか、という選択肢が自ずと生まれてきます。それが、絶えず世界各地で起こっている変化。その加速度は大きくなっているように思われるのは、情報化社会たる所以でしょうか。さて、そのフェスの一幕に、太鼓のデモンストレーションがあったようで、部屋までそのリズムが鳴り響いてきました。正直に言うと、太鼓だけの演奏って、今一つ良さが判りません。何というか、甘味無しでコーヒーを飲むようなものでしょうか。或いは、おかず無しで白米を食べるような感じでしょうか。何か、物足りないような気がします。どちらかと言えば、他の楽器、特にメロディ(主旋律)を奏でる楽器と合わせる事で、その良さが引き出されると思いますが、いかがでしょうか。音の波長は一定で、振り幅(強弱)が変わるだけですから、どうしても短調に聞こえてしまいます。太鼓でも様々な音が出せる、という反論はあるかと思いますが、その微妙な変化から様々なイメージが生まれるほど、想像力豊かではありません。これは個人の能力の問題ですからあしからず。それと、演奏というよりも、ヒトの動きが重要ではないかと思うのです。さきほどデモンストレーションと書きましたが、太鼓とヒトの動きが融合して初めて、何かイマジナリィが与えられるのではないでしょうか。決して否定している訳ではありません。ただの好みの話です。