• 哲学?

    オブジェ、ふと思考の開始

    普段からボケーっとすることが好きで、作業しながら、コーヒーを飲みながら、或いは奥様の話を聞きながら、隙を見つけてはボケーっとしています。休憩をしているわけではなく、思考の世界にどっぷり浸かろうとしているのです。一旦足を踏み入れたら、なかなか帰ってこられないこともありますので、注意が必要になります。呼びかけても返事が無い時は、この状態ですね。「人の話をちゃんと聞きなさい」と先生に言われた記憶はありますが、なかなか実践できておりません。聞いているふりをする、という能力は飛躍的に向上しました。その結果、会話の隙間時間に(思考の)外に飛び出して、迷って帰ってこられなくなるという、なんとも方向音痴(思考音痴?)な大人が出来上がったのです。これも一重に熱心な教育の賜物、と言ったら、果てしなく失礼というか嫌味な発言になりますが、決して、非難しているつもりはありません。むしろ、感謝をしているのです。こんな僕でも、何か発信できるということを気付かせてくれたのは、間違いなく、教育機関があって、そこで学ばせていただいた結果です。学校を卒業して、社会に出て、それなりに働けば賃金を得ることができたので、学ぶということがいかに重要か、ということを考えなくなりました。言われた事だけをやる、という状態に陥っていました。今でも人間の本質は変わりませんが、学ぶ事の重要性は最近、認識できるようになりました。継続して学びたい、という欲求が芽生えたのです。これは今までに無かった感覚ですので、大切にしていきたいと考えています。そうなると、不思議と、イメージが膨らむようになりました。子供のころ、想像の世界で遊んでいましたが、それに近い感覚だと思います。残念なことに、労働のため、思考旅行の時間に限りがあります。しかし、一旦想像できれば、後は次の日の(思考が)自由な時間に、出かけることが可能ですから、それまで雑用をこなすだけです。雑用も、考え方によっては、学びの場でもありますが、なかなか上手に付き合うことができません。小憎たらしいというか、一方的に絡んでくる物事として捉えてしまいがちなので、どうしても損害を被っている、と考えてしまいます。まだまだ子供ですね。そのあたりは、大人にならなければならないな、と自戒。さて、情報処理の本を読んでいると、オブジェクト指向という言葉が出てくるのですが、これが難しい。数学と同じように、概念を理解するのがどうやら苦手なようです。単純に記憶するもの(歴史や公式)は、反復でどうにかなりますから、僕でもその気になれば覚えることができますが、「その気」とは、一体どこから出てくるのか、はてさて。それで、オブジェクト指向の概念という思考旅行に出かけた結果、一つの発想がありました。それは、本質とは、究極に抽象化されたモノだ、という事です。決して新しくはないでしょうし、創造的なものでもありません。正解があるわけでも無いし、同調が得られるわけでもありません。しかし、自分にとって、価値があると感じられる言葉です。ネットを検索して得られる回答は幾らでもありますが、オリジナルの回答を持つことで、情報を得た時、価値が変わってくる、という事にしておきましょう。娘が2年前に、興味深い発言をしていました。たまたま、カレンダーアプリに、メモをしておいたのですが、それが毎年、通知されるように設定されていました。その内容はこうです。僕:「月は地球の回りを回っているのだよ。」娘:「そうすれば、みんなの顔が見えるからだよね。」僕:「……(理解するのに数秒かかり)そうだね。」このように、自由な発想とは、知識とは全く別の思考が必要であることを、娘から学ぶことができました。無知と言うと、何だか馬鹿にされがちですが、知らない状態のほうが、美しい事もあるのです。子供たちは、成長するに従い、様々な現実と向き合う必要が出てきます。その時は、理性と知性、忍耐が必要になることでしょう。そういう事を、早い内から教えるのが良いのか、それとも、その時々で教えるのが良いのか、僕には判りません。しかし、一緒に考える、という姿勢は大事かと思いますので、相談には、真摯に向き合うつもりです。あとは、奥様にお任せするのがよろしい、と、僕の中の誰かが叫んでいます。どなたか存じませんが、従いましょうか。

    思考旅行へ出発したくなる風景