• 雑談

    折れたのは親のほう?

    子供たちが折り紙で遊ぶようになりました。きっかけは知りませんが、ここ数日間は、以前に購入した折り紙の折り方を図示してある本を見ながら、いろいろなモノを作っています。ハートの形から始まり、昨日は動物や花の作品に挑戦していました。絵を見ながら折るのは、あまり考えなくてもできそうなイメージですが、実は結構難しいものです。山折りと谷折りの区別は、説明しても理解するには少し時間がかかりますね。出来る限り、独りで考えながら挑戦していただきたいので、「どうやって折るの?」と聞かれても、「絵を見ながらやってごらん」とあしらうようにしています。少し冷たい対応ですが、そのほうが彼女たちにとってプラスになるであろうとの目論見です。あわよくば、自分の時間を増やしたい、という雑念も無きにしもあらず。そして、得た時間で勉強し、最終的に石油王になれる確率は、無きにしもアラブ・・・失礼しました。この折り紙という遊びは、本などを見て、手順を参考にするのは、デジタルな手法ですね。再現が可能だからです。何も見ずに(と言っても目を瞑るわけではありません)、イメージだけで折り進めていくのはアナログな手法です。折り方を覚えてしまえば、デジタル化と言えますね。昔の遊びはとにかくアナログですね。ほとんどの遊びはどうやって遊ぶのか、個人に委ねられていたと想像します。最近では、結果が見えているような遊びが多いように見受けられます。少し寂しいですが、想像を膨らませてワイワイ遊ぶ子供たちが増えると、町に活気が生まれるかもしれません。スマフォで遊ぶことは悪い事ではないと思います。テレビよりはマシだと言えます。それに、スマフォをずっと弄っているのは大人たちですから、それを見て育てば、どうなるか容易に想像がつくはずです。それなのに、子供がスマフォを持つ事に理解を示さない社会というのは、さぞかし生きにくいだろうな、と同情してしまいます。僕なんかはもう中年ですから、言いたい事ばかりを口にする年齢ですから、楽な立場です。それをいい事に、子供たちに押し付けがましい態度をとってばかりいると、将来、愛想をつかされてしまうような気がします。自分のふり見て我ふりを改める心構えが必要であることは、ここ最近、ぼんやりと、霞のごとく感じておりました。名誉のために申し上げますが、子供に愛想をつかされるのが怖い訳ではなくて、子供たちにとって不利益になるのが嫌ですね。親が自身の利益ばかり考えていると、子供はただの飾り人形みたいになってしまいます。そういう親子は見ていてかわいそうな気がします。ただ、自分の子供たちが奥様といる時にどうなのか、あまり知りませんが、客観的にはまだマシなほうかな、と。随分、緩い関係ではありますが、かろうじて親としての威厳は失われていないのではないか、というレベルですから、良いとは言えません。他の家族についてあれこれ言うつもりはありませんが、親子の関係は、ある程度主従がはっきりしていたほうが、都合がよろしいのではないかと思います。親子が友達のように振舞うのは、逆に良い印象を与えられないのではないかと心配になります。親の後ろを、子供が無言でついていく、そんな関係のほうが、正常に見えます。いえ、前者が異常だとは言いませんけれど、度が過ぎているな、くらいの感覚です。しかし、家庭それぞれの風景は、その家庭における様々な文化を垣間見ることが出来ますから、それはそれで面白いのではないでしょうか。

    主人を待つ野良ネコ