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観劇はもはや喜劇か
昨日、17日は午前中、保育園の発表会があり、ビデオ撮影係の大役を任命されたので、行ってきました。動機はいささか消極的です。去年から、こども園というシステムに変わったそうで、内容は把握していませんが、園児への影響は少ない模様です。どちらかといえば、影響があるのは親の方かと。園児の数は40名ほどでしょうか。比較的こじんまりしており、山の上にあります。園のすぐ裏は当然、裏山になっており、園児には大人気の遊び場であると聞きます。その裏山で初めて遊ぶ事を、通称「裏山デビュー」と言うそうです。発表会の観客は100人ほど。親と園児の兄弟、そして祖父母の席もありました。「敬老席」という名称には、思わず微笑んでしまいました。だって、中には40代で祖父母になられる方もいらっしゃるわけですからね。ホールは、そうですね、適当ですが、15m四方くらいでしょうか。その中に100名ほどが入るので、密度はかなり高い。2人/畳くらいでしょうか(単位が変)。普段、会わない人ばかりなので、いわゆる広場恐怖症が発症しそうになりましたか、すんでのところで、思い止まりました。そういえば、年少の娘は、行きたかった近所の保育園は定員オーバーだったので、少し離れた場所にある園に通っています。来年度には、近所の保育園に変わります。ラッキーなことですね。待機児童が多いと言われるこの頃、僕の周辺ではあまり騒がれていないような気がします。メディアが騒いでいるだけなのでしょうか。しかし、検索してみると、実際に入れなくてどうしようか、という内容の書き込みは見受けられますね。保育士として働きたいのに、働けない人も多いそうですね。これは労使間の問題でしょうか。少子化なのに待機児童が一向に減らない、というのは少し違和感を抱きますけど、社会問題について深入りはやめておきましょう。ポリシーです。そういえば、兄の長男(つまり、甥っ子)が、結局、幼稚園に入れなかった、と言っていましたね。そういうとき、母親の方はたいへんだと思います。いえ、大変なのはそれだけではないですが(フォロー)、子供と四六時中向き合うということに、さぞかしストレスを感じることでしょう。中には平気な方もいらっしゃるとは思いますが、多くの方は精神的に辛い思いをされていると想像します。さて、発表会を観ていて感じたことですが、観客は、ついつい、その内容に協調性を求めてしまいますよね。シンクロナイズというのでしょうか。できるだけリズムを合わせて演奏する、できるだけ声を合わせて歌う。つまり、作品としてより完璧を求めてしまう部分があるように見受けられます。それが悪い事だとは思いません。プロの舞台やライブなどは、当然、完璧であることが重要です。しかし、子供たちにとって重要なことは、自由気ままに演奏したり、歌うことではないでしょうか。自由な発想力を見ていた方が、どれだけ価値があることでしょう。それは何度か、発表の中でも垣間見ることが出来ました。アドリブで踊ったり、喋ったりした時は、そのセンスに「最高だ」、と心で思いました。会場内でも温かい拍手や笑いが起きていました。先生も不意の演技に笑顔でしたね。決して発表会を否定するつもりはありません。ミスをしないように、多くの時間を割いて練習しているのだと思います。しかし、保護者のために行っているような雰囲気になっているのが残念ですね。スマホで一生懸命撮影したり、ビデオカメラをずっと持って撮影している姿を見ていると、何だかな、という気がしてくるのです。一応断っておきますが、僕は消極的な撮影係です。あしからず。記憶よりも記録に残す、という考え方は合理的ではありますが、観劇とは言い難い作今の発表会。主催側は一切の撮影機器、メモリデバイス持ち込み禁止くらいの気概をみせてくれても良いものですね。そうであれば、ぜひ、積極的に観に行きたいと思います。という事を考えていました。ひねくれものですね。とはいえ、楽しい時間を過ごせたことは事実です。感謝ですね。園児の皆さん、先生方、準備から片付けまで本当にお疲れさまでした。
写真は、園の広場にある一本の大木。この枝一本一本、葉の一枚一枚、全てが主役です。
保育園の広場