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穿刺交響組曲
最近は首筋が痛むことが多いので、限界を感じたらロキソニンテープを張る様にしています。限界というのは、頭痛が始まる直前ですね。首の太い血管がドクドクと脈を打っているのが判り、それを放っておくと、頭痛が始まります。ロキソニンは鎮痛剤ですから、根本的な治療をする必要があるのかもしれませんが、今のところ、ごまかしながら生きています(しんみり)。それで、昨日も頭痛が始まりそうでしたから、ロキソニンテープを張り、朝を迎えました。目覚めると首の周辺の違和感がなくなり、非常に心地よく目覚めます。その後、会社に行って、仕事をするわけですが、仕事中に、何気なく首の筋肉のストレッチをしようと、横に倒したら、「ピキッ」と嫌な音が聞こえました。あれ、と思ったのですが、手遅れです。ロキソニンにより痛みが和らいでいたため、無理に曲げてしまい、筋を痛めました。これは治るのに暫くかかりそうです。今日もロキソニンテープを張ろうか、と考え中です。頼るのは良くないのですが、筋の痛みが限界です(我慢が嫌い)。という訳で、今から張ってきます。しばしお待ちください・・・お待たせしました。痛むのは左側だけですが、なんとなく両側に張りたくなるので、一枚ずつ、計200mgを皮膚から吸収します。職場では基本的に身体を動かしている作業者ですから、筋肉が固まる、という訳ではないと思うのですが、姿勢が悪いので、体を動かしていても猫背により脊髄が圧迫されて、神経を痛めているのかもしれませんね(勝手な推測)。そもそも、筋肉と神経、どちらの痛みかも分かりません。しかし、痛い、と感じるという事は、神経を経由しているはずですから、神経なのでしょうね(勝手な推測)。なぜ、神経というのか、という疑問がふと浮かびましたが、一説によると、「神気」と「経脈」を合わせた造語なのですね。解体新書で最初に使われたようです。ふむふむ。今日のタイトルは解体新書ホニャララにしよう、と言いたいところですが、一切話が広がりそうにないので、止めておきます。しかし、外国語を初めて翻訳した人々は、どのようにして言葉を結び付けたのでしょうね。図があれば、ある程度は可能でしょうけれど、それ以外の部分は、医学であれば人の生死に関わるため、誤訳が許されない、という責任が生れてきます。それでもオランダ語から日本語へと翻訳した二人(前野良沢さん、杉田玄白さん)は非常に大きな仕事を成しえたと言えます。その功績があっての、ロキソニンテープかもしれませんし。巡り巡って関係しているのかもしれません。血液も体内を巡っているのですが、普段はそれを意識することはありません。何かの拍子でケガをして、流血すると、「あっ、そういえば体内に血が流れているのか」と再認識します(鈍い?)。僕は注射の時は、針が刺さるところ、血を抜くところは全て監視します。4年前に入院した時、同室の患者さんに看護師さんが点滴の太い注射をなかなか射す事ができなくて、4回くらいやり直していました。その後、ベテランを呼んで事なきを得ましたが、隣にいても、患者と看護師の緊迫した空気を感じました。その後、僕の点滴の番になりましたが、さすがに一発でOKでした。しかし、点滴を始めると、何やら血液が官の中を逆流している模様でしたから、看護師さんに伝えたら、「ごめんなさいね、やり直します」と言われ、別の部位にまた太い針をさす事になりました。そんな事があってから、注射は必ず目を逸らさない様に心掛けています。ミスをしてほしくない、というよりも、自分がこれから何をされるのか、しっかり見届けようという気持ちの変化です。仮にそれが原因で何かあっても、監視していなかった自分に非があると思うからです。医療ミスとはいえ、こちらからも「本当に大丈夫ですか?」と問う事も大事ではないでしょうか。自分の命ですからね。
明日への希望