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風刺禍伝(音)
植物については、これっぽっちも知識が無くて、サクラとかチューリップとかアジサイ、バラくらいは判りますが、他は壊滅的です。観ているのは楽しいのですが、名前を覚えたり、特徴を記憶したりすることが苦手ですから、その時は印象に残っても、記憶からはすぐに消去されます。先に挙げたものは、繰り返し見たり聞いたりしたので、記憶に定着しているのだと思います。サクラやチューリップは歌でもありますからね。サクラの歌は、独特の旋律で、いかにも日本の歌曲、といった感じです。短調とか長調という概念が輸入される前に作曲されたので、イ短調でもホ短調でも、或いはト長調でもハ長調でも、または支店長でも破天荒でもありません。くどいですね。申し訳ありません。イメージからすると、若干暗い調べですから、短調を思わせるのですが、それは論理の後付けでありますから、無理にカテゴライズしないほうが、美しいですね。おそらく、日本の曲調を表す表現はあるかと思いますが、そこまで詳しく知りませんから、これくらいにしておきましょう。えっ、調べないのかって?いえ、検索してみたのですけれど、「ヨナ抜き音階」なんて、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪の名前でありそうでしたから、詳細は調べませんでした。結局のところ、日本で生まれた音階を、無理に西洋の論理体系に当てはめようとするから、混乱が生じるのです。無理に「C」とか「Dm」とかで表さなくて良いと思います。楽譜では、便宜上そうしたほうが良い?それはそうかもしれませんね。では、僕の主張は無かった事にしておきましょう(軽い)。ピアノは、練習する曲の楽譜を見ながら練習します。これは当然ですね。それで、ある程度頭に入ると、もう楽譜は見ません。何故なら、楽譜を見ながら弾くと、指が止まってしまいます。ところが、ギターの曲を練習する時(20年くらい前です)は、常に楽譜が目の前にあり、楽譜を見ながら演奏していました(といっても、9割コード弾きですから、比較対象として成立しているのか不明ですが)。これって結構不思議だな、と思ってよくよく考えて見ると、ギターの楽譜って、コードが書いてあって、アルペジオや単音で弾く場合は、そのコードに沿った音を出すのが基本だと理解しています。弦の番号が記されている譜面もあるので、楽譜(音符)を読んでいるのとは、少し違ってきます。ピアノは、単純に音符を読みますから、似て非なる作業をしているのではないか、というのが生まれたての持論です。今練習しているクラシックの原曲は、時間にして2~3分程度のモノが多いですが、それを恐らく100回程度練習すると、ようやく楽譜を見なくても弾けるようになります。この回数が多いか少ないか、はそれほど問題ではなくて、それだけの情熱を注げたことが、自分にとってプラスである、ということです。101回目以降(厳密にはもっと前後します)は、暗譜という形になるのでしょうけれど、いずれにしても、自分が納得できるくらいに弾けるようになれたら、それで楽しいのではないかと考えています。結果にコミットするのは、プロセスだけでしょう(コマーシャルではありません)。さて、花の話をしようとしたら、いつの間にか音楽になっていました。という訳で、花の話題は後日です。
サクラと国宝