• 雑談

    良心のかけらを探して

    昨日は、仕事中にトラブルが起き、その対応に追われました。屋外での作業でしたが、昼過ぎから雨が降り始め、てんやわんやでした。と言っても、それほど焦って作業をしていたわけではなく、落ち着いて、わいわいがやがやとしていました。トラブルの時こそ、ひと呼吸おいて、焦らないことが重要です。急いで対応しようとすると、さらなるクリティカルな問題を引き起こしかねません。ケガでもして、労災になったら、何を言われるか判りませんからね。そういえば、同僚がケガをして、労災に認定された時、誰もケガを心配せずに、「どうやったら、そんな事になるんだ?」と、原因追及に執着していました。先ずは、ケガの心配をしてあげるべきでしょう。その人の人格までを否定してしまうような言動では、部下は安心してついていけません。さて、先日に引き続き、自動車との接触事故についてです。1回目は、相手がどこの誰なのか、性別や年齢も未確認のままでした。それは、交通事故という現象を、どうやって処理したらよいか、知らなかったからです。中学生だから、というのは言い訳ですが、まさか、そんな事になるとは夢にも思いませんでしたからね。そして、忘れたころに、悪夢が忍び寄ってきました。2回目は、19歳頃でしょうか。原付に乗って、近くのスーパーマーケットから帰宅する途中でした。センターラインの無い、やや狭い道路です。優先道路を走っていて、交差点(もちろん優先側)に差し掛かったら、カーブミラーで右側から車が来ているのが見えました。車は、当然一時停止するものだと思っていて、そのまま走っていたら、「ドン!」。何も考える暇もありませんでした。ただ、ぶつかった直後、原付のハンドルの部分で腹部を強打し、投げ出され、地面に叩きつけられた事は記憶しています。そして、その時は、起き上がる前に、異変を感じました。呼吸が出来なかったのです。息を吸おうとしても、何も吸えない。吐こうとしても、何も出てこない。パニックに陥りそうでしたが、必死に自分に「落ち着け、深呼吸だ。」と言い聞かせ、胸を大きくゆっくり動かしてみました。すると、その動きに合わせて空気が流れてきました。我ながら、この時は、よく無事だったと感心しています。待てば海路の日和あり、でしょうか。その後、警察が来て、事情聴取の時に、僕はヘルメットを被っていなかった事に気付きました。自宅まですぐ近く(300m未満)だったので、油断していました。いけませんね。警察の人は、ノーヘルの事は、特に追求せず、やはり一時停止せずに交差点に進入した運転手にスポットライトを当てていました(誤用)。後で知ったのは、その人は、近所の総合病院の看護師さんだったそうです。事故現場でそのことは言わず、当然、救急車も別の病院へ行きました。きっと保身ですよね。でも、その人の気持ちは痛いほど分かります。加害者側になれば、自分の素性は知られたくない、という気持ちはどうしても働くと思います。社会的制裁を受けることに対して、臆病になりますから。責めるつもりはありません。無事でしたので。後日、夫婦で挨拶にきました。僕は、確か「顔を見たくない。」と言って、両親に対応してもらったと記憶しています。大人げないですね。いや、まだギリギリ未成年ですから、大人げなくはないかも。そんな言葉はありませんか。ええっと、やぶさかではない、だと違いますね。そうそう、軽率な行動ですね。せめて、冷静に相手の話を聞くべきだった、と今更ながら反省しています。ノーヘルの事は全く反省していないあたりが、せめてもの被害者意識と言いましょうか。言いませんか。おかしな日本語をところどころに散りばめたので、非常に読みにくい文章となっています。それは、敢えてです。本当に申し訳ございません。

    首都高での単独事故

    これは、2011年9月5日、名古屋高速での出来事です。単独事故でした。運転手は、無事のようで、外に出て携帯電話で連絡をしていました。こういう時、どうすれば良いか、判断に迷いますね。一番怖いのは、ガソリンが漏れて、引火することです。かといって、放っておいて良いのか、という話ですよね。結局、僕は通り過ぎました。保身ですね。良心は、時に残酷なものである、と言い訳しておきましょう。