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独り歩きのタイムカード
今日は特に変化もなく、日常的な、という言葉で表せる一日でした。朝は6時に起きて、ご飯を食べてコーヒーを飲んで少し本を読むと、出社の時間となります。長女が学童保育に通っているので、通勤時に送っていきます。さほど遠回りでもなく、1、2分のロスになるだけです。引き渡しも30秒かかりません。朝の挨拶と、お願いします、行ってきます、のフレーズを事務的に発するだけです。心の中では、本当に有難いな、と感じていても、なかなかそれを伝えることは難しい。事務的な挨拶と思われるでしょうけれど、感謝の気持ちは絶えません。この種の感謝は、それをわざわざ言う必要はないですが、代わりにお金という対価を払っている、と考えることで消化しています。つまり、サービスを受けている、という考え方ですね。サービスの本質とはなにか、今一度考えてみたくなります。なります、というのは、予測であり、必ずしもそれを実行する、という強い想いから発している訳ではありませんから、注意しましょう(僕に対してですけれど)。会社に到着したら、ボンヤリとしながら作業服に着替えて事務所に行き、体操の時間まで、1日の作業の流れをイメージします。体操が終われば、作業の始まり。あとは定時まで黙々と動くだけ。仕事が終われば、シャワーを浴びて帰宅します。雑務をこなして夕食を済ませて、あとは自由時間。それが大体20時頃から。23時には眠くなって、布団に横になります。それからすぐに眠りにつきます。この日常とは、なかなかステキなものだと感じるようになってきました。強いて言うならば、もっと若い時に気付いておきたかった、という想いが募りますが、いくら募っても、すでに締切が過ぎたアンケートのような虚しさに代わって行くだけです。お、少し文学的な表現でしょうか。いえ、そうでもありませんね。