-
そもそもピアニストではない
最近は、ピアノの練習曲目は変化ないので、上達しているのか自分では判断できませんが、気持ちよく弾くことを目的としておりますので、その日の15分~30分だけ、その目的を達成できるように、気持ちを落ち着けて、イヤホン(或いはヘッドホン)を装着し、万難を排して臨んでいます。曲の順番はK545→アメリカンパトロール→貴婦人の乗馬→カノン→トルコ行進曲→エリーゼのために→月光→別れの曲→乙女の祈り→主よ、人の望みの喜びよ、という感じです。余裕がある時は、他に10曲くらいを練習します。しかし、練習と言っても、体系的に習っている訳ではないので、ひたすら弾いているだけです。楽譜は相変わらず閉じたままです。まあ、指の運動になっていますから、悪くはないと思います。音楽は、リベラルアーツ(自由七科)における、教養の一つである、と少し前にブログで書きましたが、クラシック音楽は、聴いていると自然と姿勢を正さなければならないような、そんな強迫観念というか、強制力みたいなものがあるように感じられます。POPやロックその他現代音楽?ではそんな事は先ずありません。いえ、比較する必要はないですし、良い悪いという話でもなくて、単純に感性に訴える部分が異なるというか、伝わってくるイメージが全く異なります。クラシックは、それこそ映画で見るような壮大な場面、悲愴な情景、品位に溢れた描写がイメージとして、展開されます。POPなどですと、日常生活の一コマみたいな映像です。ですから、僕はクラシックを聴く時は、少し緊張感がありますね。全身が耳になったような感覚で音を吸収するとでも言うのでしょうか。JAZZもクラシックに近いとは思いますが、少しカジュアルな感覚ですから、緊張はありません。とは言え、コンサート会場などで、フルオーケストラでクラシックを聴いた事は無いので一度は体験しなければならないと考えております。いずれ、一人でこっそり聴きに行くことになるでしょう。奥様は、ジャニーズ系のコンサートの方が喜ばれると予想します。つまり、お互い趣向が違うので、単独で行動した方が合理的であります。僕が小学生の頃は、CDはまだ出回ってなくて、カセットテープが主流でした。兄弟がサイモン&ガーファンクル、さだまさし、松田聖子、レベッカ等を聴いていたので、一部の曲は記憶に残っています。自分で自ら聞き始めたのは、光GENJIですね。後はテレビのアニメやヒーローものの曲ばかりです。ドラえもん、ゴレンジャー、さざえさん、ちびまるこちゃん、魔法使いサリー、秘密のあっこちゃんなどが記憶にあります。中学生になると、祖父が「時代劇を観なさい」と勧めてくれたので、毎日、祖父母の部屋のテレビで時代劇を観ていました。月曜日は水戸黄門、火曜日は大岡越前と鬼平犯科帳、水曜日は八百八町夢日記と銭形平次、木曜日は遠山の金さんと三匹が斬る、金曜日は記憶にありません。土曜日は暴れん坊将軍だったかな。日曜日は大河ドラマではなくて、バラエティを観ていました。こうして抽出すると、かなりテレビっ子ですね。情報が偏っている気がしますが、時代劇は面白かったと思います。当時中学生ですが、「なぜ、何時も同じパターンなのだろうか」と疑念が浮かんだ事もありましたが、きっとそれが面白いのだろうな、と漠然と答えを見つけて観ていました。勿体ないですね。それぞれの番組で、何かしら得たものがあるのか、と言えば、特に何もないのかもしれません。それぞれの時代において、様々な出来事があり、人々は苦労が絶えないということは、それほど変わらないのだと思います。それが「生」である、という一つの考え方をたった今、導いてくれました。当時はそれほど考える、という行為をしていなかったということですね。中学生といえば、最も賢い時期ではないですか。それなのに・・・と後悔するのは止めておきましょう。昔があっての今です。それで、中学生から、クラシック音楽とは疎遠になり、ギターを少し覚えてジャカジャカ弾き語りをしていた覚えが、恥ずかしながらあります。コードを覚えて、スコアブックのコードだけを拾って演奏していました。それが、意外と長続きしなかったのです。ピアノで、コードを覚えず、楽譜を丸暗記するという暴挙に出た結果、意外と続いています。単純に興味の対象かどうか、という問題かもしれませんね。「名もなきピアニスト」と言うと格好良いのですが、実際は僕には名前がありますから、「名のあるピアニスト」が適切です。しかし、言葉のマジックといいますか、それでは意味が全く変わってきてしまうので、迂闊に言ってしまわないように気を付けます。
音楽で伝わること