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取り残された希望的観測
未だに身体と思考が連休モードで、なかなかテキパキと行動ができません。もしかしたら、もともと、今くらいだったのかもしれない、というジレンマさえ生まれてきそうです。さらに、もしかしたら、何かしら病にかかり、身体が重く感じるのかもしれない、という疑念がうかんだら、トリレンマです。ギリシャ語で二重の問題が、「ジレンマ」、3重の問題が「トリレンマ」となります。こんな事を言うくらいだから、まだ余裕はありそうだ、という客観的な意見もあります。しかし、確実に、不調を感じます。特に、朝方から昼にかけて、頭が回らないし、そばにいると、ボーっと、音が聞こえそうなくらい、頭の中がボーっとしています。いっそのこと、そういうキャラクタだったらいいのに、という都合の良い設定が浮かびあがるくらい、ボーっとしていました(過去形)。こういう時は、決まったミスを犯しがちなことが判明しています。蛇口を開けて、水を使う作業があるのですが、蛇口を閉めることを忘れてしまい、出しっぱなしでタンクから溢れそうになりました。ギリギリのところで思い出したのです。このあたりが、経験値でしょうね(自慢できない・・・)。普段、マルチタスクをこなす事が出来ないので、一つずつ、確実に作業を行うように、自分に言い聞かせているのですが、この時は、その蛇口の前に立っていたにも関わらず、考え事をして、水を止めることを忘れてしまったのです。いけませんねぇ。これでは、子供に指を差されて笑われる事でしょう。でも、それはそれで良いのですが。親の失敗を見ることで、子供たちは反面教師として、振る舞いを正す事でしょう。これは、願望が含まれています。子供たちに押し付けるつもりはないのですが、ついつい、「こうあってほしい」というような、願望を持ってしまいます。口にはなるべく出さないようにしなければなりません。教養という部分で、どうしても伝えなければならない事はありますが、しかし、あまり口うるさく注意するのは好ましくありません。この状態は、まさにジレンマですね。もう、今日のタイトルは、「ジレンマだらけのアントニオ」でいいのではないか、とさえ思えてきます。アントニオは、特に意味はありません。古代ローマ時代の「アントニウス」から派生した名前だそうです。何となく、プロレスラーを思い浮かべてしまいますが、彼は最近、どうしているのでしょうか。北の国に突然訪問して、話題になったこともありました。気合を入れに行ってきたのでしょうか。ジョークです。最近、長女が、youtubeで動画を観るようになりました。小学2年生ですから、まあ、仕方ないというか、それくらいの年頃でしょう。日本のアニメは、世界で受け入れられているだけあって、子供にも人気がありますね。昔ながらのアニメを好んで観ているようです。ドラ〇もん、サザ〇さん、クレヨ〇しん〇ゃん、ちび〇子ちゃんなどは、鉄板ですね。時代を感じさせないのでしょうか。建物や小道具、服装は、かなり時代を感じるような気がするのですが、面白さにはあまり影響しないのでしょうね、きっと。昔というか、テレビで観ていたころは、その時間になると、必ずテレビの前に座っていないといけませんでした。いえ、立っても構いませんけれど、疲れますからね。始まる前のコマーシャルを観ながら、「さあ、次だ!」と高鳴る胸の鼓動をおさえずに、大きな声でオープニングを熱唱していました。そんな時代もありました。今では、観たいときに、観たい動画を観ることができるようになってきました。本当に素晴らしい、と思うのですが、受け入れ難い人々も当然、いらっしゃることでしょう。それで善いではありませんか。自由の選択肢が増えているのです。他人を批判することよりも、自分が楽しむことを考えたほうが、健全です。逆に言えば、楽しみを見つけていない人たちが、他人を批判したがるのです。もう少し、ご自身を大切に生きられてはいかがか、というささやかな希望的観測は、今日も胸の中にしまい込んでおきましょう(しまった、書いちゃった)。
ツインタワー?