ゲーム
-
ゲームをわきまえる
リサイクルショップの話の続きになります。そういったお店では、コンピュータゲーム機器が意外と安値で取引されています。古い、という理由でしょうけれど、電子機器って、意外と長持ちしますよね。コンデンサの液漏れや、はんだ不良によるショート、あとは電源アダプタの差込口とかの(ぐらつきによる)断線がなければ、それなりに使えそうですね。僕は今では、ほとんどコンピュータゲームをしませんが。小学生の時には、ファミリーコンピュータを買ってもらって、兄と一緒に、または順番に、或いは取り合いながら遊んでいました。中学生の時には、なぜかPCエンジンというゲーム機が家にあり、それで遊んでいました。あと、ゲームボーイも中学生の時ですね。高校生になると、スーパーファミコンを買いました。社会人になると、プレイステーションですね。こうして並べて見ると、結構ゲームで遊んでいますね。良い身分ですこと・・・それからは、スマフォで数個のゲームをダウンロードして遊んでみましたが、それほど熱中はできませんでした。もういいや、となってしまうのです。結局、製作者の想定の範囲内、もっと言うなら、プログラムで表現されている部分までしか、遊べないのですよね。例えば、ロールプレイングゲームですと、魔物と戦って、勝つとお金と経験値を得ることができる。その経験値を増やすことで、レベルを上げることができる。このレベルの設定が、上限があることに、僕は違和感があるのです。だって、たとえ将棋のプロで、最上位に君臨する方は、それ以上経験値を積んでも意味がない、ということはありませんよね。そこが、どうせ非現実の世界を描いているのに、もったいないな、と思うことです。僕なら、上限を定めないようなプログラムを考えると思います。ただし、一定以上は当然、レベルが上がりにくくなるでしょう。その内、もういいや、とプレイヤが投げ出すまで遊んでもらえるようなものが理想ですね。ロールプレイング以外は、その限りではありませんが。シューティングゲームなんかは、プレイヤの技術次第で、クリアできる、という設定がベターだと思います。何も、アイテムをわざわざ買って、装備させる、という最近のスマフォのゲームのやり方(運営の仕方)には、正直辟易します。そうじゃないでしょ、と。クリアするために、切磋琢磨して、プレイヤが技を磨くことに楽しみがあったと思いますが、まあ、営利目的ですし、人それぞれの考えがありますから、これ以上は発言を控えます。話を戻しますが、リサイクルショップに置かれている中古のゲーム機は、安価ではありますが、稼ぎ頭ではないか、と想像します。だって、ゲームに新しいも古いもないでしょう。むしろ、今の若い世代の人たちにとって、古いほうがある意味で「新しい」はずです。何しろ、前例がないわけですから。現在の小中学生が、ファミリーコンピュータの某スーパー兄弟や、竜の質問などをプレイしたら、その斬新さに驚くことでしょう。正直、きれいなグラフィックではないし、音楽も辛うじて和音が出せる程度です。しかし、その世界観は、今では味わう事ができないはずです。何でも綺麗に、具体的に表現されがちな今日ですが、もっと抽象的に、引いた視点を持つことが大事だと、そこから気付くことができます。ゲームに対して、批判的な考えの人がいる事は承知しています。しかし、明らかな被害を被っていなければ、無下に否定するのではなくて、そういう人たちがいる、という程度に認識しておくだけで十分だと思います。あとは、モラルの問題です。所かまわず、スマフォを取り出してゲームをしたり、大きな音でゲームを遊んだりするような行為は、注意していく必要があると思います。スマートフォンは、そういう意味では、教養の敵、と言えるのかもしれませんね。確かに、調べ物をしたり、写真を撮影したり、音楽を聴いたり、電子書籍をよんだりすることは、豊かな想像力を産み出すことでしょう。しかし、「わきまえる」ことも、社会から求められているのです。それが社会的要求の内在化、と言われる「良心」にも通ずる部分だと思うのですがいかがでしょうか。
遊び心・・・?