三国志に萌える PartⅡ
昨日の続きになります。横山氏のマンガでは、劉備玄徳の視点で描かれていることが多いように見受けられます。書物によっては、曹操が主人公であったりすると聞いたことがあります。もちろん、一人一人がその時代において、主人公たらしめるのでしょうけれど、こと、三国志においては、先述の3人が、すなわち「志」であると言えます(これには批判もあることでしょう)。しかし、誰が書いたものであろうと、読み手次第で視点は自由に変えても良いはずです。曹操が主人公でも、もちろん素晴らしい物語です。孫権が主人公でもオッケーです。赤壁の戦いなんかは、孫権が大きな功績を修めました。100万人という曹操軍が襲ってくる、と聞いただけで真っ青になりそうですが、同じ100万でも、黄巾賊なら、真っ黄になりますか。失礼しました。100万人と言うと、仙台市がちょうどそれくらいの人口ですから、仙台市が常に移動するようなものでしょうか。高台から見上げれば、恐怖を通り越して壮観ですらありそうですね。もう出来事がありすぎて、何を書いたら良いのかも定かではありませんが、少なくとも、書く前に定めておくことが大事であると、今になって気付きました。そうですね、出来事よりも、ヒトにフォーカスしたほうが書きやすいでしょうか。劉備玄徳は、「三国志の登場人物で上司になってほしい武将」で、NO,1でしたね。どこが集計したかは不明ですが、納得の順位です。義に溢れ、徳を備え、礼を尽くす。困難に立ち向かう姿はまさにリーダーであり、生まれながらにして、上に立つ者であると言えます。それもそのはずで、彼は漢(王朝)の血をひく者なのです。優秀な人材も自然と集まってきました。関羽、張飛を始めとして、趙雲、馬超、黄蓋の五虎大将軍、智将としては、軍師の諸葛亮孔明、龐統、徐庶、他にも裏切る事になった魏延、蜀の最後まで戦った姜維、馬岱、その他諸々の忠君が蜀を成していました。関羽は、荊州という重要な場所を少ない兵士で、呉の攻撃を防いでいましたが、呂蒙という智将に敗れる事になりました。息子の関平と共に捉えられ、桃園の誓いを果たせず、無念だったことでしょう。関羽の死で、劉備と張飛は弔い合戦に向かうのですが、張飛はお酒が好きで、つまりお酒に弱い部分があり、それが自身の仇となってしまったという悲しい最後でした。部下に就寝中に襲われたのです。この最後は、劉備にとても大きな衝撃を与えました。二人の義弟たちが先に逝ってしまい、暫くは床に伏せたままだったようです。僕は、この辺りを読んでいる時(中学生くらいでしたか)に、もう先が怖くて読むのを一旦止めました。このままだと、劉備も後を追う事になる、その場面がどうしても受け入れられなくて、暫く離脱したのです。関羽と張飛の最後は、本当に悲しい場面でした。戦国の時代であれば、仕方のない事だとは思いますが、僕はてっきり、桃園の誓いが果たされて、ハッピーエンドで終わるものだと勘違いしていたのです。その話を受け入れるために、何度か同じ個所を読み返した記憶があります。「これは夢だ」と思ったことでしょう。このようにして(?)大人の階段を昇っていくのですね。豪傑を二人も失った蜀ですが、諸葛亮孔明という軍師が、知略を持って、様々な戦いで勝利を収めることになります。この諸葛亮孔明という人物を紹介したのは、徐庶でした。諸葛亮はともに学んだ仲間の一人で、その才能は徐庶が足元にも及ばない。もし、彼か、龐統を招き入れることができれば、天下を獲れる、とまで言ったのです。その徐庶は、母親の病を知り、その看病にあたるために、劉備の元を去る決意をし、その置き土産として、そのような情報を提供したのでした。そして、劉備が三度訪れ、その信念に諸葛亮の心が動き、軍師として仲間に加わることになりました。これが有名な三顧の礼ですね。ちなみに、1、2回目の訪問時は、不在でした。3度目は、昼寝中だったので、劉備は「外で待たせていただく」と言って、目が覚めるまで、ずっと姿勢を正して待っていたそうです。この時、張飛はかなり悪態を着いたのですが、少しは嫉妬があったのかもしれませんね。諸葛亮が加わってから、劉備は毎日、ともに彼と行動しており、「水魚の交わり」と言われていました。そこでも張飛は面白くない、と愚痴をこぼし、いざ戦いは始まっても、軍師の諸葛亮の命令を聞かない、という困った行動をとります。このあたりの描写は、面白おかしく描かかれており、作者が張飛を愛していたのではないかと伺うこともできます。なんか、解説みたいになってしまいましたが、本日はここまで。明日はまた続編になります。あしからず。