オンリー、ロンリー
本日は宿直だったので、朝から気が休まらず、頭は寝不足でボーっとしていました。こういう時は気を付けなければなりません。「油断一秒ケガ一生」なんて安全標語が脳裏を過ります。こういう安全に関する標語は、勤め先の工場で毎月刷新されますから、それを見るたびに、言いえて妙だな、と感心します。やはり、ケガをして辛い思いをされた先人の言葉が、現在の作業員にとっての道標になるのではないでしょうか。それを蔑ろにするような人も中には存在しますが、そういう人に限ってケガをしないものです。不思議ですね。「罰が当たる」なんて道徳では習いませんが、成長の過程において、当たり前のように耳にしてきました。子供の頃は本当にそうなのだろう、と疑う事もせずに過ごしてきました。大人になって、忘れたころに、何かトラブルに巻き込まれ、「ああ、罰が当たるとはこういうことか。」などと、妙に納得する経験は多くの方がするのではないでしょうか。安全標語は一種のおまじないみたいなもので、それを口にすることで、経験した、という感覚に陥ることができるのです。つまり、イメージの中で罰に当たるのです。一度経験すれば、もう同じ事を繰り返したくない、という保身が働きますから、安全に行動をするようになる確率が高くなる、という寸法です(計ったことはありませんが)。人間のイメージは、かなり便利で、様々なシミュレーションが行えます。しかも、非現実的なシーンまで実行できます。僕はその「才能」だけでも、人間は素晴らしいな、と思えるのですが、社会を生きていく上では、もっと荒んだ事を実行しなければなりません。それが労働であり、対価としてお金を得るのですから、正直辛い部分はありますね。これは多くの人が悩んでいることでしょう。一部の人は、本当に仕事が好きで、一所懸命に打ち込んでいるようです。それはそれで素晴らしい事だと思います。仕事が嫌いな人は、せめて、プライベートで楽しみを見つけて、自分だけでも楽しむことが出来るようになるとハッピーかもしれません。僕は特に「楽しい」という感情を欲してはいない、という事に気付きましたから、至って平凡な状態で過ごしていく事がハッピーだと考えています。感情の起伏が少ないほうが、精神的に安定できる、というシンプルな論理です。ロンリーではありませんので、ご注意ください。