哲学?

刻々縷縷

今日は、会社でお泊りの日です。なんの変哲もないゲート、事務所、設備。否、設備は多少キレイになっていた部分がありました。工事が連休中に行われたのですね。しかし、事務所のモニタが並んだデスクを眺めていると、何か不思議な感じがします。業務中はここで何が行われているのでしょうか。デスクの前に座って、何を考えながら働いているのでしょうか。想像するだけでも気が遠くなりそうです。仕事って何でしょうね。労働って何でしょう。賃金との交換?時間的な拘束?精神への負荷装置?幸せへの切符?社会への貢献?僕が仕事を辞めたら、社会は困る?疑問は尽きませんが、一つ言えることは、僕が労働を辞めたら、自分自身が困る羽目になります。それだけは確か。結局そこに帰結するような気がします。ですから、文句を言わずに働くのかもしれません(ここで少し愚痴ってますけれど)。まぁ、そんな事はそれほど大きな問題ではありません。午前中はプレゼンテーション用の資料作り。午後は昼寝をしてから、エクセルとにらめっこ。エクセルは画面が方眼紙みたいですから、じっとモニタを見ていて、パッと違う場所に焦点を当てると、そこに方眼模様の残像が現れる、という事はありません(期待した人は残念でしたね)。その代わり、モニタに焦点を戻したときに、どの方眼の部分を操作していたのか、探すのが大変ではあります。僕は視力が弱いので、焦点を調節するのにも一苦労。眼鏡やコンタクトレンズが無ければ、もういっそのこと目を閉じて生活するかもしれません。その代わり、心の目を開くのです。どこかで聞いたような言い回しですね。昨日までの自分。明日からの自分。どれも同じ自分ですが、過去の自分に対しては、客観的に見ることができます。未来の自分に対しては、主観的な見方になります。それは、まだ「経過」していないため、客観的な判断ができないのかもしれません。先程まで見たいた未来の自分は、今はもう過去になっていたりする訳で、それを繰り返して大人になっていくのですが、その速さときたら、秒速472mくらいでしょうか。とてつもなく早いのです(この場合「地球が」ですけれど)。1時間という感覚と1秒という感覚、どちらも重要ですが、さらに細かいマイクロ秒、ナノ秒といったところまで意識して人生を設計しようとしたら、気づけば大人になってしまいそうですね。うーん、考えるだけ時間の無駄ということでしょうか。それは少し寂しい気もします。ウルトラマンになってみたいですね(現実逃避)。