歴史

怒りは敵と思え

いきなり訓示めいたタイトルになってしまいましたが、難しいと感じていることの一つです。この言葉の発信者は徳川家康だったかと思いますが、調べてみると、遺訓として紹介されていますね。急ぐ必要はない、不自由を当たり前と思うこと、欲に対しては、苦労を思い出し、怒りは敵とおもう。負ける事を知らないのは危険だ。人のせいにしてはいけない。多すぎるよりは、足りないくらいのほうがいい。というような内容です(かなり掻い摘んでありますね)。以前のブログでも、紹介しているかもしれませんが、そんなことは気にせず、一つ一つ見ていきましょう。急ぐ必要はない、という事に関しては、最近少しずつ理解できているように思えます。というよりは、自己暗示をしています。「落ち着け、ここはゆっくりだ」みたいな言葉を自分に投げかける事で、急いで失敗しないように注意することができますし、効果はかなりあると言えます。不自由を当たり前に思う事。そうですね、多少、コンプレックス話かもしれませんが、それが自分という人間だと受け入れる事は、出来ています、多分。欲に対しては苦労を思い出す、というのはどうでしょうか。ご飯が一杯食べたい、という欲に対して、お金が無くてカップラーメンで過ごした日々を連想すれば良いのでしょうか。これは少し奥深いですね。欲と苦労を足して、中和する目的があるのかもしれません。負ける事を知らないのは危険である、すなわち、勝ち続ける事は良くない、ということですね。これは何となくイメージできます。ただし、スポーツやじゃんけん大会などのトーナメント形式では、優勝するためには勝ち続ける必要があります。景品や賞金をゲットしなければなりませんから。こういう時は、勝ち続けても問題はないでしょう。これは家康公が言ったわけではなくて、僕が勝手に解釈しているだけです。そして、ヒトのせいにしてはいけない。そうですね。現代では道徳で学ぶことでしょうか。子供たちでも、ヒトのせいにしたりすることがありますが、よくよく考えて見ると、自分の身を護るために、そういう行動を取っていると予想できます。身を護るというのは、精神的な部分の話ですが。多すぎるよりは、足りないくらいの方がいい、ですか。腹八分目が健康に最も良いのでしたっけ。そういう事を言っているのではないですか?お金の話でも、同じような教訓はありそうですが、お金はあるに越したことはない、というのが僕の考えです。というか、お店で足りないと困ります。100円が足りなくて、店員さんが支払いを待っている時に「過ぎたるは尚及ばざるがごとし」と呟いても、効果はありません。気を付けましょう。最後に怒りについて。これは本当にコントロールが難しい感情だと思います。悲しい、楽しいなどは、ある程度表面上はコントロールできるのですが、怒りは直ぐに表情に浮かんでしまいます。これは、自分でもよく判ります。「あ、今浮かんでいる」と、怒りながら思うのです。なんだ、余裕じゃん、と思われるかもしれませんが、浮かんでからでは遅いのです。相手には確実に伝わりますから。浮かぶ前に抑えなければならない。その難しさというのは、本当に敵と対峙しているような状況かもしれません。怒りの自分に対して、退治してくれる自分を作り出さなければなりません。桃太郎の鬼退治とは、人間の内面的な部分を良く表している昔話であり、それぞれの役目を全て自分一人で請け負っている、とイメージすると、コミカルかもしれません。