哲学?

信じられない・シンギュラリティ

昨日、スズムシやマツムシの鳴き声が聴こえない、と書きましたが、仕事から帰ると外からスズムシの鳴き声が賑やかに届きました。もしかして、ブログを読んでくれているのでしょうか?予想外の素敵なプレゼントで少し気分が優れました。というのも、病み上がりの仕事はやはり疲れますし、疲れるような出来事が発生したためです。何よりも関係者がケガを負うことなく、作業を終えることができたのが、唯一の救いではありました。この失敗は、明らかにフール・プルーフを怠った結果です。ゆえに、作業員に責任を負わせるような事があってはならないし、もしそうなら、僕は抗議するつもりです。早かれ遅かれ発生した事態ですから。しかも指摘は以前から挙がっていたにも関わらず、会社側が改善を怠っていた、と言えます。他にも同様の設備がありますが、劇薬を扱う以上、作業者は細心の注意を払うのは当然ですが、設備の安全対策にもそれなりの配慮が欲しいモノです。その辺りの知識が残念ながら乏しいように感じます。客観的にみれば、結構ギリギリの状態で作業しているのですが、それに慣れると鈍感になってくるのです。慣れが続くと、大きなトラブルや事故が発生する、というのは過去の事例で散々報告されているのですが、なかなか学ぶことができません。これも業なのでしょうか。愚痴を言ってばかりのように感じられるかもしれませんが、これは会社に対して期待している部分もあります。期待すること、つまり求める事は、愛情ではない、という説を何度も書いてきましたが、希望的観測と言い換えれば良いでしょうか。情に捉われる部分ではなくて、もっと合理的な部分での期待です。好きか嫌いかでいえば、仕事は嫌いです。ゆえに、会社も嫌いです。モチベーションはやはりお金です。もっと具体的には生活費が欲しいのです。しかも、できるだけ、楽をしたい。こんなに現金な男は嫌われやすいのでしょうけれど、本音を言葉にすることが、自分にとって重要であると考えていますので、あしからず。楽をして、という部分は、自分でも半分冗談で言っている部分で、今の自分の所有している技術では、到底何かを産み出せるようなレベルではありません。その事は自覚しています。しかし、将来的にまだ可能性がある、とは(楽観的に)考えているので、その可能性を追求することは続けています。それがどういう形になるのか、あまり自分に期待はしていませんが(これは愛情です)、楽しみな部分でもあります。 2045年にシンギュラリティ(技術的特異点)が起こる、という説を最近見かけます。その頃、僕は66歳になるので、定年を迎えていますが、辛うじて何が起きるのか、確認が出来る可能性があります。それまでの積み重ねの部分も、時間の許す限り、追っていきたいものです。シンギュラリティによって、生活が一変するのか、と言えば、そんな事はあり得ない訳で。ただ、全体的に徐々に最適化されていく事は間違いないのでしょう。それを担うのがAI(人工知能)なのです。その頃(2045以降)は労働力の確保をどうするか。普通に考えれば、若者がリーダーになり、僕ら世代の定年組が現場作業者、という構図が様々な場所で発生するでしょう。その定年組がリタイアする頃までに、賢いロボットたちが日本の労働を支えていくようなベースを今から築いていく必要があるのは自明です。世界に目を向ければ、きっと様々な変化が起きていることでしょう。強国と弱国の立場が入れ替わっていく可能性も、敵同士だった国が同盟を組んで強国となる可能性も、日本が先進国ではなくなる可能性もあるでしょう。戦争は一刻も早くなくなりますように。

未来の食べ物?