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友走る 僕端折る

最近は、体調が優れない事が多く、その度にもう若くはないのだな、と思う事しきりなのですが、平均寿命の半分まで到達したので、これから下り坂となることは理に適っています。ですから、むやみに抵抗しないように、出来る限り平静に行動したいものです。先日、友人と話した時に、5人中3人は京都マラソンに参加すると言っていました。抽選があるそうで、確定はしていないのですが、当選したら、フルマラソンを走るそうです。誘われましたが、僕はとてもそんな体力はありませんから、お断りしました。短距離では、割と早いほうでしたが、中長距離は、昔から不得手です。多分、飽き性という事も関係しているのだと思います。ずっと同じことを続けることができません。中学生の時に、マラソン大会がありましたが、確か5km弱の距離だったと思います。それが限界でしたね。それ以上は、絶対に走ろうとは思いませんでした。しかし、友人はこの年齢でも走るという行為を続けているので、尊敬しますね。しかも、酒はいつも飲みますし、タバコを吸っている友人もいます。それでもマラソンに出場するというチャレンジ精神は、僕には無いものです。もう1人の断った友人は、独身時代はハーフマラソンに参加して完走していたので、体力はあるはずですが、結婚して子供が生まれて、何かと忙しいのでしょう。親バカを楽しんでいるようにも見受けられます。まだ3歳ですからね、可愛さ絶頂期なのでしょう。スポーツはもともと好きな方でしたが、加齢による体力の衰えと共に、疎遠になってきました。今では、引篭もりが一番の贅沢だと考えていますから、マラソンなんて地獄絵図をイメージしてしまいます。ただし、言葉のマラソンはこのブログで続いていますね。巧い事言ったので、だれか座布団を1枚ください。2月4日から毎日千文字以上を綴ってきました。平均1日千五百字くらいですから、トータル三十万文字を超えました。これは、一般的な小説や単行本ですと、3冊分に相当します。ストーリーがあるわけではありませんので、ジャンルはエッセイになるのだと思いますが、別に本にするわけではありません。売れるような内容でもありませんし、読んで感銘を受ける事もないでしょう。では、なぜ毎日書いているのか、と疑問に思われるかもしれませんが、それはマラソンに参加する友人に「なぜ走るのか?」と問うことと同義です。答えも明確です。「やりたいからやる」だけです。世の中には、毎日ブログを書いている人が大勢います。僕が知っている中で、20年以上継続している人(M氏)もいらっしゃいます。M氏のブログは全て目を通しました。ゆえに、多分に影響されていますが、とても感謝をしている部分があります。哲学的な事で、精神的に救っていただいたからです。今の自分を形成しているのは、そのM氏の考え方による部分がほとんどではないか、と言えます。それが正しいとか間違っているという話ではなくて、生き方の指標となる部分が見つかったという意味です。さて、今日も何とか走りました。目標は1日千文字ですが、ゴールは決めていません。どこまで走れるのか、無理せず、頑張らず、継続しましょう。「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」この言葉が拠り所です。

どこまで走るのか