哲学?

アフターファイブはドリームトレイン号に乗車します

長々とキャンプについて書きましたが、キャンプに対する思い入れみたいなものが実はあるような気がしています。と申しますのは、幼少期(3歳~10歳)に、キャンプ場の管理棟に住んでいたことがあり、そこでの生活は、文字通り、毎日がキャンプでした。テントは不要ですが、遊びは決まって山の中、川のほとりなど、自然の中です。しかも、そこは整備された場所ではなくて、天然の自然(不思議な表現)の中です。友達がいなくても、毎日が新しい発見がありました。その日々の発見を覚えているかどうかは別の話ですけれど(ほぼ忘れている)。同じ事を続ける事もありませんでした。今ではすっかり毎日が同じような生活となり、これを安定と呼ぶのでしょうけれど、いささか退屈ではあります。この退屈というのは、仕事に係る時間の間だけであり、自宅に帰れば、楽しい時間になります。ドリームトレイン号に乗って、好きな場所にいけるような感覚でしょうか。不思議なもので、自宅でも毎日同じことを繰り返しています。もしかしたら、仕事以上に変化は無いのかもしれません。しかし、気持ちの面では明らかに異なります。仕事は、仕方なく行う、という気持ちが強いですね。家ではワクワクルンルンです。ただし、あれもこれもしたいのですが、時間の都合上、一つの作業はせいぜい30分から1時間です。その時間をいかに楽しむか、という事になります。決して集中はしていません。集中すると、疲れてしまいます。リラックスして他事を考えながら、取り組むという姿勢が、気楽で楽しく、厭きないのです。これは自分に限定された方法ではありますが、この方法で今のところ不満を持ったことはありません。人生は自分との付き合いですから、自分の喜ぶ通りにするのが一番だと気付きました。決して甘やかす訳ではなくて、目的に合わせて最適化するということです。マラソンをするのであれば、トレーニングが必要だと思いますが、そのトレーニングをどうやってやるのか。毎日5kmをハイペースで走るという人もいるでしょうし、スローペースで10kmを走る人もいるでしょうし、もしかしたら、1週間に1回だけ、トレーニングとしてフルマラソンをする人もいるかもしれません。何が自分にとってハッピーか、実際にやってみれば判ると思いますし、続けることが出来そうなものを選択すれば間違いはないでしょう。合っていないものですと、ストレスとなり、結局やめてしまう事になります。本当に好きなことであれば、できる限り継続したいですよね。話を戻しますが、キャンプ場という山奥の場所であったので、それなりに危険も存在していました。近くには、比較的最近(100年以内?)と思われる崖崩れの場所があり、大きな岩がごろごろしていました。そこに流れる湧き水がとても綺麗(天然ですから)で、友達の家に行く途中にそこを通ると、喉を潤すこともありました。水を飲みながら、「ここに長く留まってはいけない」と、子供心ながらに感じていました。今ではその崖崩れと道路はすっかり改装されていて、写真を見せなければ、その時の状況を伝えるのは難しいことでしょう。頭の中にはイメージが残っていますから、念写機があれば、現像できるでしょうけれど、まだ開発されていないので無理ですね。果たして開発されるのでしょうか。現代では、VR(仮想現実)という技術がありますから、念写はこれで再現できるかもしれません。その前に、画像データをどうするのか、という問題はありますが、その内、人間のイメージをそのまま画像にできるようになるでしょう。ただ、いろいろとヘンテコな線を機械と接続する必要はあるでしょうけれど。そうなったら、目が見えない人がイメージを他人に見せたり、逆にイメージを受け取ったりすることが可能になるはずです。楽しみですね。それがあれば、キャンプに行く必要はなくなるのでしょうか?いいえ、それでも僕はキャンプに行くでしょう。映像や音源を再現できても、匂いや肌に触れる空気、風、太陽の光まではVRで再現されないと思います。その違いが、重要なポイントであることを強調しておきます。結局、キャンプネタになってしまいました。

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