1000文字のカケラ
毎日同じように暑く、毎日同じように熱中症のニュースが流れ、毎日同じように働いて、毎日が同じように過ぎていく。これはつまらない事なのでしょうか?変化の無い生活というものが、それほど人気があるようではないようです。確かに自分の若い頃を振り返ってみると、同じことを繰り返すのに嫌気が差していた時期もありました。しかし、今では変化の無い毎日が続くことに、ありがたいと感じるようになりました。もちろん、季節は移り変わり、ヒトは年老いて、環境は意思とは関係なく変化を続けています。そんな中で、日々同じ事をして生きている、という状態が安定していると捉える発想は、自然から見れば矛盾しているとも言えます。恐らく、毎日同じ行動、作業が続くことに安心感みたいなものが生れ、それが精神的に安定するのでしょう。それに伴い、身体的にも安定するというのは、実際に経験している事ではあります。変化することが自然であるならば、安定することは、人工的となります。したがって、変化を求めるという事は、自然を求めていて、不安定な状態であると考えることができます。(精神的に)若い人は変化を求めがちでありますが、その理由を客観的に考える事があれば、さほど変化に興味を持たなくなることでしょう。しかし、毎日同じことをしていれば、その繰り返し行っている作業について、スペシャリストになるはずです。毎日、歯を磨きますし、毎日、歩きますし、毎日、ご飯を食べます。洗濯物を干したり、たたんだり、食器を洗ったり、掃除をしたり、どれも毎日行っていることですが、さほど上達しているような感じではありません。強いて言うなら、どれも、早く終わる様になりますね。決して、丁寧であるとは限りません。歯磨きであれば、子供の頃の方がむしろ、しっかりと磨いていたのではないでしょうか。ある程度は合理化されてきますが、結局、早く終わるようになっただけで、それほどスペシャリストになっているわけではないのです。これはあくまで個人の観察に基づく主張なのであしからず。会社の昼休みに、「今朝は6時に起きた。最近、夜は9時には寝てしまう。やる事もないし、ビール飲んだら眠くなるし、(家族の)だれも相手にしてくれない。」という話が聞こえてきました。家での自由時間に於いて、この「やる事がない」状況というのがあまり理解できないのですが、逆にやる事がある時とは、何をするのでしょうか?とついつい思ってしまいました。お酒を飲むのは、やる事のうちに入っていないのでしょう。むしろ「当たり前」というカテゴリでしょうね。酒を飲みながら他の事を楽しむ、というのは、贅沢であるように感じますが、酒を楽しむ、という訳にはいかないのでしょうね、きっと。僕はコーヒーが好きなので、コーヒーを飲んでいる間は、あまり他事をしないようにします。だいたい、ニュースを観たり、本を読んだりする程度で、あまり考えなくても良い作業を選びます。というのは、考えごとをしてしまうと、味が全く分からなくなり、飲み終わってから「あれ、しまった。味わうのを忘れていた」と後悔することになるのです。せっかくのセルフハンドドリップコーヒーなのですから、ゆったりとした気分で飲むことが、贅沢な時間でもあり、優雅な気分にさせてくれる必要条件です。お酒もそのように楽しんではいかがか、と思いますが、個人の自由ですから、特に本人に伝えることはありません。以前、上司に「酒が飲めないというのは、人生の半分を損している」と言われたことがありますが、僕の場合はそんな事はありません。むしろ、酒を飲めなくてよかった、と思っています。この先、何があろうともその考え方は変わらない事でしょう。さて、毎日ブログも変わらず書いていて、これが日常としてすっかり溶け込んでいます。これを書いているという事は、安定であり、人工的な秩序の元に生きていると安心できる部分は確かにあります。おそらく、突然書くのを止めるでしょうけれど、それは変化を求めた結果であり、不安定な状況に陥っていると判断できます。それがいつ訪れるのかは判りませんが、この短い文章に(自分が)安らぎを覚える間は続けることでしょう。
